私の新人時代を振り返って伝えたいこと

保育をしている中で、尊敬できる若い保育者にたくさん出会いました。保育をしていると、子どもからはもちろんですが、保育者からも学ぶことばかりです。

例えば、最近の若い保育者と一緒に保育をしていると、しっかりしているし、子どものことをよく見ていて、すてきだなと感じることが多いです。

若い人たちは、最近の保育業界のことを知ったうえで、覚悟して保育者になっているからなのかもしれません。

実は、新人時代の私は、失敗してばかりいました。

誤って子どものパンツをトイレに流してしまったり、子どもにしょっちゅう配布物を渡し忘れたり。

子どもとの距離感もわからず、ぐいぐい遊びに入っていき、子どもたちがみるみるつまらない表情になっていったこともありました。

ピアノにいたっては、「先生、止まっちゃうからうまく歌えない」と指摘されたこともあります。

若い保育者の方の中にも、私のように不器用で落ち込んでいるかたもいるかもしれません。

そんなかたに読んでもらえたらいいなと思ってこの記事を書きました。

失敗や不器用さは共感のもと

私は失敗ばかりしていたとき、申し訳なさが先に立って、先生たちの輪にも入りづらくなっていました。

そんな時期のある日、入園したばかりでまだ園に慣れずにいた子が、「部屋に入らない。ここにいる」と、門の前に座って動かなくなっていました。

ずっとそうしているうちに雨が降ってきてしまいました。それでもその子は部屋に入ろうとしません。

部屋には他の子がどんどん入っていきます。

保育者も行かなければ、子どもたちが困ってしまいます。

動かない子をだっこをしてでも部屋に入るという方法もあったのかもしれないけれど、私はどうしてもそれができませんでした。

なぜなら、失敗ばかりだった私には、「部屋に入らない」というその子の気持ちがよくわかったから。

困っていると、先輩保育士がやってきて「クラスの子、見ててあげるからいいよ」と言ってくれました。

私はその言葉に甘えて、しばらくその子と一緒にいることにしました。

「雨だね」とか「お弁当何入ってるの?」などと、何気ない言葉をかけました。

でも「入ろう」とは言えませんでした。

「入りたくない」よりも「入りたくても入れない」という気持ちを感じたからです。

そのとき、私にその子をうまくノセるスキルがあれば、部屋に入れることもできたかもしれません。

でもそれができない不器用な私だったからこそ、その子の気持ちに寄り添うことができたのだと思います。

結局、その子はその日もその翌日も、数週間後経っても、部屋に入りませんでした。

でも、2か月後のとある日、同じように雨が降ってくると、何事もなかったように部屋に入ってきました。

「入れる」ようになったんだと思いました。

自分で一歩踏み出したんですね。

私の関わり方がよかったのかどうかは、今でもわかりません。

だけど、私の失敗や不器用さが子どもの気持ちに寄り添うきっかけになったことは事実です。

失敗は子どもに共感できるもとになります。

そう思うと、失敗や不器用さも悪いことばかりではないと思いませんか。